<デシデリウス・エラスムス>
デシデリウス・エラスムス(1460年代後半~1536年)は,16世紀前半に活躍した,オランダ出身の思想家・作家である。
エラスムスは,1460年代後半に,オランダ南西部のロッテルダムで,司祭の私生児として生まれた。学校で教育を受けた後,両親を疫病で失ったこともあって大学進学を断念して修道会へと入る。ここで修道士となり,司祭として叙任された後,フランスのパリ大学に留学するが,空虚な学問に耐えかねて1年で退学した。
以後はパリで人文主義の学問などに打ち込むが,そうしたなかで1499年にイギリスを訪ねて気鋭の人文主義者たちと交流したことは強い刺激となり,特にトマス・モアとの出会いは運命的で以後二人は終生の親友となった。これ以降,エラスムスはヨーロッパ各地を巡りながら,ギリシア・ローマの古典や聖書の研究に力を注ぎ,その成果を著作として発表していった。
エラスムスは,その並外れた知識と頭脳を活かしながら精力的に執筆活動を展開し,古典や聖書などを題材として,翻訳や論文など多様な形式によって著作を発表した。
彼の重要な業績としては,まず,精密な研究にもとづいて,ギリシア語原典の新約聖書を刊行したことが挙げられる。これによって,より原初のかたちに近い聖書に触れられるようになり,教会公認のラテン語聖書の制約から解放されて,聖書研究に飛躍的な発展が起こることになった。
そして,異彩を放つ傑作として『愚神礼賛』がある。これは,愚かさを司る「痴愚の女神」が自己を礼賛するとともに人間社会を批判するという形式の風刺文学で,痴愚の女神の口を通じて人間や社会に対する痛快な風刺が繰り広げられる。特に教会や聖職者に対して痛烈な批判が行われ,これは宗教改革にも影響を与えることになった。
これらのエラスムスの著書は大きな反響を呼び,思想や信仰のうえで絶大な影響を与えた。彼は人文主義の第一人者として知られるようになり,その名声はヨーロッパ中に轟いた。
<愚神礼賛>
しかし,その後,宗教改革が進行するなかで,彼の人生に影が差してくる。エラスムスはカトリック教会の存続を認めながら本来のキリスト教を再生することを目指したが,結果として,プロテスタント陣営からは不徹底でカトリックに与する者として非難され,カトリック陣営からはプロテスタントに接近した異端として追及され,両派から攻撃を受けるようになった。彼は拠点を移しながら平和と寛容を訴え続けるが,激しい対立の嵐のなかでその声はかき消され,そうしたなかで1536年にバーゼルで死去した。
エラスムスの平和と寛容の呼びかけは,時代の激動のなかで聞き入れられなかった。しかし,彼の言葉と思想は,ヨーロッパ中の人々の精神を大きく開き,そこに光を差し込ませた。人間の理性を信じ続けながら信仰を再生することに力を尽くし,人間性と信仰の復興を目指した彼は,まさに人文主義の王者というべき偉大な思想家だった。