ガイウス・セクンドゥス・プリニウス 

<ガイウス・セクンドゥス・プリニウス>

ガイウス・セクンドゥス・プリニウス(23~79)は,古代ローマ帝国初期の軍人・学者である。

プリニウスは,ローマ帝国初期の西暦23年,イタリア北部ロンバルディア地方の都市コモで生まれた。ローマで教育を受けた後に帝国の軍人・官吏となり,以後はヨーロッパやアフリカなど帝国の各地に赴任したが,その経験は彼の見聞を広げる上で役立つことになった。

生まれながらに旺盛な知識欲を持ち,学問をこよなく好んだ彼は,公務に従事する一方で,学問の研究に熱心に取り組んだ。職務の時間を除く全ての時間を投じて読書と研究に没頭したと言われている。

プリニウスはそのような研究の成果として自然や歴史に関する多くの著作を残したが,それらの作品のうち後世にまで伝わっているのが『博物誌』である。これは,地理・生物から民俗にまでわたる幅広い領域の事項について記録・説明した一種の百科全書で,参考文献2千,項目数2万にも及ぶ大作である。

『博物誌』の内容には,伝聞をそのまま採用しているものが多く,科学的には正確性に欠ける点もあるが,現存しない史料や当時の生の情報が掲載されており,貴重な資料となっている。

晩年のプリニウスは,海軍の司令官としてナポリ湾方面での任務を担当することになったが,そうして彼がナポリ湾岸に駐屯していた西暦79年8月24日,ナポリに近いウェスウィウス山で大噴火が起こった。噴火は非常に激しく,火山灰と火砕流は付近のポンペイの町を埋めた。プリニウスは,いまだ噴火が続くなか,火山活動の監視や救出活動のためにポンペイ近くの町に上陸した。しかし,噴火にともなう有毒ガスのために彼は倒れ,そのまま絶命することになった。

ウェスウィウス山の噴火に関しては,この噴火によって埋没したポンペイの町が古代ローマ時代の生活を伝える重要な遺跡として有名である。しかし,同じ噴火によって命を落としたプリニウスの『博物誌』も,貴重な情報にくわえて,職務と研究に命を捧げた人間の生きた証を伝えてくれる点で,ポンペイに劣らない重要な遺産であると思う。

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