<スタンダール>
スタンダール(1783~1842年)は,19世紀前半のフランスの作家である。
スタンダールは,本名はアンリ・ベールといい,1783年にフランス南東部のグルノーブルで,弁護士の子として裕福な家庭に生まれた。子どもの頃に愛する母を失い,このこともあって早くから内省的な傾向を強くもつようになったという。少年期には厳格かつ保守的な教育を受け,中等学校を優秀な成績で卒業し,名門の理工科学校に進学することを考えたが,ナポレオンがクーデタで政権を掌握するなど当時の不安定な政治情勢を見て進学することを放棄した。
それから彼は軍に入り,1800年にはナポレオンの遠征軍に従軍してイタリアへと赴いたが,この際にイタリアの自然,女性,そして芸術にすっかり魅せられ,その刺激もあって帰還後は軍務を離れて文芸に熱中するようになる。まもなくして軍に復帰したが,1814年にナポレオンの第一帝政が崩壊してブルボン朝の復古王政が成立したことで職を失うことになった。
彼はしばらくイタリアのミラノに滞在した後,1821年に帰国してパリで暮らすようになったが,そうして過ごすなかで社交界での交流や女性との情熱的な恋愛を経験し,同時に執筆活動を活発に展開していった。
スタンダールは評論・伝記・小説など幅広いジャンルの文芸活動を行ったが,なかでも小説において人間と社会の現実を描くリアリズム(写実主義)の文学を実現したことが重要である。彼は,人間に対する強い好奇心と鋭い観察力をもとに,時代の状況や自己の体験を踏まえながら人物や状況を詳細に描き出し,特に心理描写を巧みに使用した。
そのような彼の才能が見事に発揮された画期的な作品が,1830年に発表された小説『赤と黒』であった。これは,ナポレオン没落後の復古王政下のフランスを舞台に,野心家の青年ジュリアンが社会で成り上がろうとする強烈な意志を秘めながら,上流階級と関わり,女性と恋をしていく姿を描いたものである。タイトルの「赤」はナポレオン時代に活躍した軍人,「黒」は復古王政時代に優遇された聖職者を象徴すると言われている。この作品では,当時のフランスのさまざまな階層の人々と社会が,主人公や女性の心の動きとともに生々しく描かれている。
<『赤と黒』の挿絵>
1830年に七月革命が起こって復古王政が打倒されて七月王政に移行すると,彼は外交官の地位を得てイタリアに駐在するようになり,その間に執筆活動を続けて小説や伝記などの作品を制作した。そして,1842年,休暇で帰国した際に,脳出血で倒れてそのまま息を引き取った。
彼の文学は生前にはほとんど注目されなかったが,死後になってその真価が発見されることになった。彼は,フランスの激動の時代に生きるなかで人間とその社会に強い関心を抱き,人間と社会の現実を小説の形式によって表現することを実現した。これによってスタンダールは小説の可能性を大きく切り拓き,近代フランス文学の先駆者となり,また世界の小説文学に大きな発展をもたすことになった。