アレクサンドル・プーシキン 

アレクサンドル・プーシキン

<アレクサンドル・プーシキン>

アレクサンドル・プーシキン(1799~1837年)は,19世紀前半のロシアの作家である。

アレクサンドル・プーシキンは,18世紀末の1799年に,ロシアのモスクワで貴族の家柄に生まれた。子どもの頃から文学に親しみ,少年時代には首都ペテルブルク近郊に新たに開設された学院に一期生として入学すると,早くから抜きん出た文才を示し,ロシア文学界の新星として名をはせた。

卒業後,彼は外務省に入り,青年貴族たちと社交界で交流し,また西欧の思想や文学に触れながら,詩や戯曲などを発表していった。しかし,20歳の頃,政治的な作品が皇帝の不興を買ったことで南方の辺境地帯に左遷され,さらに数年後には免職されて今度は北方の辺境で軟禁されることになる。1825年にデカブリストの反乱が起こって多くの友人たちを含む青年貴族が処罰された後,彼は皇帝ニコライ1世から懐柔のために追放を解かれたが,以後も政府の監視下に置かれ続けた。

この間,彼は祖国ロシアの自然や歴史について深く学ぶとともに,西洋の思想や文学の研究も行いながら,精力的に創作活動を行っていった。

プーシキンは,ロシアの伝統的な文学を基礎とし,そこに西洋の文学の要素を導入することで,ロシア文学を大きく発展させた。彼は語彙や文体を整えてロシア語の文章語を確立するとともに,ロシアにおける韻文および散文の形式を整備し,そしてそのような言語と形式によって優れた作品を次々と生み出していった。

20代のときに制作された『オネーギン』は,韻文小説と称される,詩の形式によって書かれた小説である。同時代のロシア社会を舞台に,貴族の青年オネーギンの思想,行動,恋を描いたもので,当時の社会の様子と若者の清新な感情が豊かな言葉によって表現されている。

そして30代のときに書かれ,晩年の最高傑作となったのが,長編小説『大尉の娘』である。これは,18世紀後半の女帝エカチェリーナ2世の時代に起こったプガチョフの反乱に題材をとった歴史小説で,主人公が反乱のなかで戦い,恋をし,困難を乗り越えていく姿を描いた物語である。登場人物はきわめて個性的かつ魅力的で,また物語の展開は巧みで読者の興味を引きつけるものになっている。

オネーギン

<『オネーギン』の主人公オネーギン>

大尉の娘

<『大尉の娘』の主人公ピョートルと恋人マリア>

1837年,『大尉の娘』を発表した翌年のこと,プーシキンは妻をめぐってフランス人の男と決闘を行うことになり,その結果,37歳の若さで命を落とすことになった。これは,彼の存在を邪魔に思う政府によって仕組まれた陰謀であったと見られている。

こうしてプーシキンは,その生命を燃やし,才能を輝かせて,この世界から消えていった。その短い生涯のなかで,彼はロシアと西洋の文学を融合させ,言語や形式を整備することで,近代ロシア文学を築き,この後に訪れるロシア文学の黄金時代への道を一人で切り拓いた。

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