<フランチェスコ・ペトラルカ>
フランチェスコ・ペトラルカ(1304~1374年)は,14世紀のイタリアの詩人・学者である。
ペトラルカは,14世紀初めに,イタリア中部トスカナ地方で生まれた。子どもの頃に父に従って南フランスのアヴィニョンに移り住み,少年時代にはフランスのモンペリエ大学とイタリアのボローニャ大学で法学を学んだが,法学よりも文学に心を惹かれた。
20代前半に父が死去すると,アヴィニョンに戻って聖職者の仕事についたが,あえて閑職に留まって学問や詩作の方に力を入れた。この頃,教会でラウラという女性との出会いが起こるが,そのときに彼は激しい思いを感じ,以後,彼女は彼にとって理想の女性となり,彼の創作に尽きないインスピレーションを与える特別な存在となった。
その後,彼はアヴィニョンの郊外で研究や創作に没頭し,また,しばしばヨーロッパの各地を旅して古典の収集などを行った。
ペトラルカは,古代ローマの時代の社会と文化を人間文明の模範として高く評価し,それに憧れた。彼は古いラテン語を完全に習得してローマ時代の古典の研究を行い,古代から学んでそれを人間や社会に活かすことを目指した。
その一方で,彼はイタリア語による詩集,『叙情詩集』(『カンツォニエーレ』)を残した。これは,主として,上述の青年時代に出会った女性,ラウラへの思いをつづった詩を集めた作品で,愛や苦悩の感情が洗練された表現によってうたわれている。
ペトラルカは,その優れた学識と文才によって,当代随一の文人として国際的な名声を得た。彼は,古代のギリシアやローマで最高の詩人に与えられていた「桂冠詩人」の称号をローマ市から授与され,また各国の君主からさかんに宮廷に招かれて歓迎された。
彼は,ローマの古典の復興を行ったことで,古典を通じて人間性を追求する人文主義(ヒューマニズム)の先駆者となった。同時に,人間の自然な感情を優れた言葉によって表現することで,近代的な詩も切り拓いた。こうして,ペトラルカは,ルネサンス,そして近代文化の開花を準備する重要な役割を果たすことになった。