<フランシスコ・デ・ゴヤ>
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828年)は,18世紀後半から19世紀前半に活躍した,スペインの画家である。
フランシスコ・デ・ゴヤは,18世紀半ばの1746年に,スペイン北東部のサラゴサ近郊の村で,金メッキ職人の家に生まれた。少年時代から絵を描き始め,サラゴサの画家のもとで修業を行い,イタリア留学なども経験して,絵画を学んだ。
1775年,30歳の頃に彼は首都マドリードで宮廷のタペストリー(織物)の下絵を描く仕事につき,1780年代末には国王つきの宮廷画家となる。こうしてゴヤは順調な経歴を送り,画家としての名声を手にした。
しかし,40代の後半から,彼の人生には暗い影が差してくる。1792年,突然襲った病気のために聴力を喪失するという不幸に見舞われた。またその頃には隣のフランスで革命が開始されていたが,1808年にはナポレオンを支配者とするフランス軍のスペインへの侵入が起こり,ゴヤもその戦乱に巻き込まれることになった。
ゴヤは,はじめロココ主義の影響を受けて明るく軽妙な宮廷画を制作したが,個人的な悲劇や国家の動乱を体験するなかで,人間の苦悩や社会の真実を追求し表現する作品を描くようになっていった。
宮廷画家としての彼は,優れた描写力をもって国王一族やその周囲の人物たちの肖像画を残しており,「カルロス4世の家族」や「裸のマハ」が有名である。そして,フランスの支配やそれによる戦争を経た後には,マドリードの市民たちのフランスへの抵抗やその弾圧を描いた大作「1808年5月3日」を制作している。
<カルロス4世一家の肖像>
<裸のマハ>
<1808年5月3日>
1819年,すでに70歳を超えたゴヤは,マドリード郊外の家を住処に定めて喧噪を避けながらひそかに暮らすようになったが,この家で暮らす間に彼は「わが子を食らうサトゥルヌス」などの「黒い絵」と呼ばれる一連の幻想的で不気味な絵を家の壁面に描いている。さらに5年後の1824年には,不安定な政治情勢を避けてフランスのボルドーへと移り,ここで1828年に82歳で死去した。
ゴヤは,18世紀から19世紀,そして近世から近代という時代の転換期に生きて個人的にも社会的にも劇的な変動を経験したが,それを象徴するかのように,彼は華やかな宮廷画を経て人間や社会の真実を圧倒的な描写力によって表現する独創的な絵画をつくるようになった。こうして彼はスペイン史上最大の画家となるとともに,近代絵画の先駆者となった。