ハギア・ソフィア聖堂 

ハギア・ソフィア聖堂

<ハギア・ソフィア聖堂>



ハギア・ソフィア聖堂セント・ソフィア聖堂)は,ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブル)に建設された,キリスト教の聖堂である。



ハギア・ソフィア聖堂は,ローマ帝国,ビザンツ帝国,オスマン帝国という3つの強大な帝国の主要都市となるコンスタンティノープルに建設され,この都市の歴史の中心にあり続けた。

まず,ローマ帝国末期の4世紀,皇帝コンスタンティヌスによってビザンティウムの地に新都コンスタンティノープルが建設された後,ハギア・ソフィア聖堂はこの都市でキリスト教の大聖堂として創建された。

そして,ビザンツ帝国前期,6世紀の皇帝ユスティニアヌスの時代,聖堂は反乱のなかでいったん焼失してしまうが,ユスティニアヌスはこれを再建して新たにより壮大な聖堂を築かせ,これによって現在にまで残るハギア・ソフィア聖堂が誕生し,この聖堂はギリシア正教の最大の中心になっていった。



ハギア・ソフィア聖堂は,大規模な石造建築で,ローマ時代以来のバシリカ様式をベースとしつつ上部には巨大なドームがかけられ,また内部はモザイク画や大理石によって装飾された。

この建築は,当時において世界最大の聖堂で,また数々の高度な技術が駆使されており,ドームやモザイク画を特色とするビザンツ様式を創始するとともにビザンツ建築の最高傑作となった。



その後,15世紀にはビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされ,コンスタンティノープルはオスマン帝国の首都とされてイスタンブルと呼ばれるようになっていくが,これにともなってハギア・ソフィア聖堂はイスラーム教のモスクとして転用されることになり,聖堂の周囲にはミナレット(塔)が付設された。

以上のように,この聖堂はコンスタンティノープルを支配するさまざまな勢力のもとに置かれて,彼らによって建設や改修がなされ,また国家や宗教の行事のために使用されてきた。こうして,ハギア・ソフィア聖堂は,コンスタンティノープルの複雑かつ多彩な歴史を象徴する建築物となっている。

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