<サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂>
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は,イタリアのフィレンツェに存在する,キリスト教の大聖堂である。
イタリア中部トスカナ地方の中心都市であるフィレンツェは,中世後期から毛織物業と金融業で繁栄するようになった。このような経済的な成長も背景として,13世紀末には富裕な商工業者たちの主導によって市内に大聖堂を建設する計画が決定され,聖母マリアに捧げる聖堂としてサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母マリア大聖堂)と命名された。
この大聖堂は,初め,著名な彫刻家アルノルフォ・デ・カンピオが設計を委ねられ,1296年に起工した。14世紀初めにアルノルフォの死のために中断するも,1330年代には名高い画家であり建築家でもあるジョット・ディ・ボンドーネが後任となって大聖堂に付設される鐘楼(塔)の設計および建設を手がけた。ジョットの死により建設はまたも中断するが,14世紀後半に担当者の交替を経ながら聖堂本体の工事が進んでいく。そして15世紀前半には,最後に残るドームの設計・工事の担当者として建築家フィリッポ・ブルネレスキが選ばれ,彼の手によってついに見事にドームが頂上に載せられ,大聖堂はいちおうの完成を見た。
サンタ・マリア・デル・フィオーレは,以上のように長期にわたって建設が行われ,その時期ごとの技術の粋が結集され,また複数の様式が融合して築かれている。基本的には中世後期の代表的な建築様式であるゴシック様式によってつくられており,壮大な建築物となっている。しかし,建設の終盤を委ねられたブルネレスキによって,彼の創始した,古代ローマの建築を模範として数学的な比例や対称の規則にもとづいたルネサンス様式が導入され,秩序をもち均整のとれた整然とした美しさも備えられている。
大聖堂は,ドームを頂点として都市の中心部に高くそびえ立ち,しかし同時に,落ち着いたオレンジや白の色彩を通じて街並みとよく調和しており,フィレンツェの都市全体を代表するとともにまとめ上げているようである。
大聖堂は,市民の協力に支えられて,フィレンツェの発展とともに建設が進み,そしてルネサンスが花開く15世紀に完成した。
こうして,サンタ・マリア・デルフィオーレは,その名の通り,まさに繁栄のなかで咲いた花となり,フィレンツェ,そしてルネサンスの美しい象徴となった。