サンドロ・ボッティチェリ 

<サンドロ・ボッティチェリ>

<春>

<ヴィーナスの誕生>

サンドロ・ボッティチェリ(1445/45~1510)は,15世紀後半に活躍した,イタリアのフィレンツェの画家である。

サンドロ・ボッティチェリは本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリぺーピといい,ルネサンスが花開く15世紀半ばのフィレンツェにおいて,皮なめし職人の家に生まれた。

10代後半から20代前半の若き日には,著名な画家フィリッポ・リッピに師事して学び,つづいて同じく有名な画家アンドレア・デル・ヴェロッキオの仕事にも関わるなど研鑽を積み,20代後半頃からは自分のアトリエを構えて画家として活動するようになった。

彼は,当時フィレンツェを支配していたメディチ家の愛顧を受け,その依頼によって制作活動を行い,また,メディチ家の周りに集った人文主義者たちと交流して,そのなかでギリシアなどの古典を学んだ。

こうして15世紀後半,ボッティチェリはフィレンツェの花形画家となり,優美で装飾的な画風によって古典などを題材にした優れた作品を制作した。

なかでも最高の作品とされるのが,「」(プリマヴェーラ)や「ヴィーナスの誕生」である。これらの作品では,流麗なタッチによって,官能的であるとともに幻想的な雰囲気を持つ,独特の美の世界が表現されている。

その後,15世紀末になると,フランス軍のイタリアへの侵入を機にフィレンツェの情勢は混迷に陥り,ボッティチェリの画家としての活動も大きな転機を迎える。彼は,都市の実権を掌握した修道士サヴォナローラの宗教的運動に感化されて,キリスト教の教義を題材とした神秘主義的な絵画を描くようになり,それまでの華やかな作風を放棄し,しかもまもなくして筆を断ってしまった。

このように,ボッティチェリは,フィレンツェの繁栄と暗転の時期を生きて都市と運命をともにし,フィレンツェを象徴する画家となった。そのなかで彼は,フィレンツェの最高の季節を絵画として描くことで,その美を後世に残すことになった。

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