<王のモスク>
(©Mr.minoque)
王のモスクは,イラン中部の都市イスファハーンに存在する,サファヴィー朝時代に国王アッバース1世によって建設されたモスクである。なお,1979年のイラン・イスラーム革命の後に「イマームのモスク」の名へと改称されている。
サファヴィー朝は1501年にイスマーイール1世によってイランを中心に建国され,当初は周囲の勢力を次々に破るなど強勢を誇ったが,イスマーイールの治世の後半以降,オスマン帝国に対する敗北や内紛によって王朝は危機の時代を迎えた。しかし,こうした状況のなかで1587年に即位した第5代国王アッバース1世は,王権や軍事力の強化を進めて危機を克服した。
このアッバースは政治・軍事の改革を進める一方で,新たな首都を建設することを決め,1597年にイラン中部のイスファハーンを新たな都として定めてこの都市の大改造を行った。この新都の中央部には,南北約500m・東西約150mもの広さの「王の広場」が設置され,そして広場の東西南北の四方にはそれぞれ大規模な建築物が建てられたが,なかでも特に目を引くのが南に構える王のモスクである。
王のモスクは,王の広場の南に立つ,大きさ100m×130mほどの大規模なモスクである。このモスクは特に装飾の華麗さで名高い。
モスクの壁面はタイルで覆われたつくりになっており,そのタイルは青をメインとした意識の冴えるような鮮やかな色がつけられ,さらにその上には緻密なアラベスクの装飾が施されている。
正面入口の天井にはムカルナス(鍾乳石風装飾)と呼ばれる,複雑な装飾が施されている。ムカルナスはイスラーム建築のなかで生まれて普及した独特の装飾であるが,王のモスクのムカルナスはそのなかでも特に精密で華麗なものになっている。
イランは古くから,絨毯やガラス器で知られるように,優れた美術の伝統をもっていた。後にイスラーム勢力が進出してイランはその支配下に入ったが,イランの美術は消えることなくイスラーム文化と融合しながら生き続けた。タイル,アラベスク,ムカルナスなどの高度な装飾が隙間なく施された王のモスクは,イラン伝統美術とイスラーム文化が融合した先に行き着いた最高の作品だと言えるだろう。
17世紀のイスファハーンは「世界の半分」とまで讃えられたが,その輝かしいイスファハーンのなかでも王のモスクは最大の光輝を放っている。