ガザーリー 

ガザーリー

<ガザーリー>

ガザーリーは,11世紀後半から12世紀初め,セルジューク朝の時代に活躍した,イスラーム世界の学者・思想家である。

ガザーリーは,セルジューク朝がイランやイラクを支配していた時代の11世紀後半に,イラン東部で生まれた。幼くして両親を亡くし父の友人のもとで育てられたが,成長すると神学や法学などの学問を学び,高い学識を身につけて一流のウラマー(イスラーム世界の学者・知識人)となった。

20代後半からはセルジューク朝の名宰相ニザーム・アルムルクの庇護を受けて,当時の君主であったマリク・シャーの宮廷に出仕するようになり,そして30代前半にはバグダードのニザーミーヤ学院の教授に抜擢された。彼は優れた神学や法学の論文を著し,また多くの学生を指導するなど活躍し,イスラーム世界の学問における最高権威となった。

ところが,37歳のときのこと,突然,彼は学問や理性への信頼を喪失し,それまでの人生に対する強烈な疑問の念に襲われて,深刻な内面の危機に陥った。食べることや話すことすらできなくなるという極限的な状況のなかで,彼は神とつながるための方法を求めてスーフィズム(イスラーム神秘主義)の道に入り,地位や名誉を捨てて放浪と修業の生活を始めたが,そのなかで彼は神との絆を再構築し自分を取り戻していく。

ガザーリーはイスラーム世界の主流であるスンナ派の神学・法学などの学問を修めるとともに,それとは異なった宗派や学問をも積極的に学ぶことで,真理を追究しつづけた。

彼は,スンナ派の正統の神学と法学を体系化し確立していくかたわらで,シーア派や西洋哲学をも研究し,それらに対して理解したうえで批判を行ってスンナ派を擁護した。

また,スーフィズムを探求し実践することによって,理論的な手法とは別に神と直接つながるための道を見出し,それを神学のなかに融合させた。

修業生活を通して,しだいにガザーリーは学問と信仰,神と自分との融和を果たしていった。そして晩年にはセルジューク朝からの強い要請を受けて再び学院での指導に復帰し,最後は故郷に戻って没した。

ガザーリーは正統派の学問を究めるとともに,そこにスーフィズムという内的な道を融合させることで,理性と信仰,自己と神とのつながりを回復し,イスラームの古典思想を大成した。こうして彼はイスラーム世界における最大の思想家となり,現在にいたるまでイスラーム思想界の最高の権威であり続けている。

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