バルトロメ・デ・ラス・カサス 

<バルトロメ・デ・ラス・カサス>

バルトロメ・デ・ラス・カサス(1484~1566)は,大航海時代が開幕してスペインが黄金時代を迎える頃の,スペイン出身の宣教師である。

ラス・カサスは,1484年,大西洋に近い,スペイン西南部の都市セビリャに生まれた。彼が成長したのは,スペインがレコンキスタを完成させてイベリア半島のイスラーム勢力を駆逐し,さらに大西洋へと乗り出していく時期である。

1492年にはスペイン王室の支援を受けたコロンブスが初めてアメリカ大陸へと到達したが,それ以降スペインは,アメリカ大陸や周辺の島へ移民を送る植民活動を進めていた。ラス・カサスも,コロンブスの新大陸の発見から10年たった1502年に,カリブ海のエスパニョーラ島(現在,ハイチやドミニカ共和国が存在する島)に植民者の一人として渡った。

アメリカ大陸や周辺諸島に入植したスペイン人は,先住民インディオに対する残虐な征服や酷使を行ったが,ラス・カサスは,植民者の一員として,このようなスペイン人の行為を目の当たりにした。それどころか,彼自身もインディオの使用や,インディオとの戦闘を経験している。

しかし,キリスト教の司祭にもなっていた彼には,入植者たちの行いは神の教えと相容れないものなのではないかという疑念が生まれ,しだいにその思いは抑えられなくなっていった。

新大陸へと渡ってから10年あまりが過ぎた1514年に,彼は決心する。植民者としての経営を放棄し,インディオを擁護する活動を開始したのだ。

まず,スペイン本国に対して,入植者によるインディオへの残虐な行為や酷使を告発した。また,インディオは野蛮な未開人ではなく,彼ら自身の価値観や規律にもとづいて整った社会を構成していることを訴えた。そして,スペイン王室に対して,植民政策の改善やインディオの保護を求め,こうした努力はインディオを保護するための法を成立させるなどの成果をもたらした。

このような運動は,植民者からは彼らの経済活動に支障が出るために敵視されたが,ラス・カサスは恐れることなく活動を続けた。

1540年からはスペイン本国へ戻って精力的活動を展開する。1550年,スペイン中北部の都市バリャドリードでインディオ問題をめぐる公開論争が開かれ,当時の著名な法学者セプルベダと論戦を展開し,一歩も引くことがなかった。1553年には『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を発表して,インディオに対する虐殺や酷使を広く知らしめた。

異文化を理解すること,人種や民族にかかわらずに人間を尊重することは,現代においても強く必要とされる理念であるが,その実行は簡単ではない。まして,自分たちを「文明人」,先住民たちを「野蛮人」と決めつけて優越感に浸っていた当時のヨーロッパ人にとっては難しかっただろう。

そうした時代に,敵意にさらされながらも良心に従って行動を続けたラス・カサスは,その方向性こそ違うものの,新大陸へ到達を達成したコロンブスと同じか,あるいはそれ以上の勇気を持った人物だったと思える。

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