トマス・モア 

トマス・モア

<トマス・モア>

トマス・モア(1478~1535年)は,16世紀前半に活躍した,イギリスの法律家・政治家・思想家である。

トマス・モアは,1478年,イギリスの首都ロンドンで,裕福な法律家の家庭に生まれた。少年時代にはロンドンの学校で教育を受けた後,オクスフォード大学で古典などの教養を学んだ。その後は,法律学校に移って法学を修めて法律家となった。

彼は法律家の仕事を順調に進めていくとともに,20代半ばには下院議員に当選して政治においても活躍するようになる。そして40歳頃からは当時の国王ヘンリ8世から重用されて要職を歴任し,50歳過ぎには最高位の官職である大法官の地位についた。彼はきわめて謹厳かつ清廉で,法務や外交などの任務に真摯に取り組んで重責を果たした。

このように責任ある仕事に従事する一方で,彼は深いカトリックの信仰心を持っており,キリストの教えについて学び,信仰に従って生きることを心がけた。また,彼は人文主義の学問に関心を寄せてギリシア・ローマの古典の研究を行ったが,そのなかで出会った人文主義者エラスムスはかけがいのない親友となって生涯にわたって交流し続けることになった。

モアは,社会での経験を通じて人間と社会の現実を鋭く見つめる一方で,キリスト教の信仰や人文主義の思想にもとづいて人間と社会のあるべき姿について思いをめぐらせた。このような洞察と思索のなかで,彼は宗教や国家についての多数の著作を残した。

なかでも最も有名かつ独創的な作品が,ラテン語による物語『ユートピア』である。これは,ユートピアという架空の島に存在する国を題材とした物語で,登場人物の言葉を通じてその空想上の国の政治・経済・社会・文化についての紹介がなされ,それを鏡として現実のイギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国のあり方が批判的に省みられる。このユニークな作品を通じて,彼はユーモアをまじえながら,現実の社会への風刺と理想の世界の探求を試みた。

ユートピア

<ユートピア>

それまで輝かしい経歴を送ってきたモアだったが,大法官になった直後から政治と宗教をめぐる困難な試練に直面することになった。国王ヘンリ8世は王妃との離婚を望み,さらにその問題を契機にカトリック教会からの独立を企図するようになり,モアはこれに対する支持を要求されたが,信仰と良心から彼は同意しなかった。モアは大法官を辞任するが,さらに国王への反逆罪で追及され,ロンドン塔への投獄を経て死刑の判決が下された。1535年,モアは,信仰のために命を捧げることを宣言しながら,断頭台の露と消えていった。

トマス・モアと娘の最後の別れ

<トマス・モアと娘の最後の別れ>

モアは,現実の世界の状況を知ってそれに苦悩しながら,社会を改善するために尽力し続けた。また,彼は自己の人生と作品によって人間と社会についての一つの理想を我々人類に対して示してみせた。高い知性,篤い信仰,深い愛,そしてユーモアをもったトマス・モアは,真のヒューマニストというべき人間であった。

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