墨子 

<墨子>

墨子は,春秋時代末期から戦国時代初期に活躍した中国の思想家で,墨家を創始した人物である。

墨子は,名を翟といい,春秋時代の末から戦国時代の初めの中国において生まれた。詳細な生い立ちは伝わっていないが,宋あるいは魯の国の出身だと考えられている。下層階級の手工業者の家の生まれであるとも言われる。

墨子は,はじめ儒家の学問を学んだが,しだいにそれに疑問を抱くようになり,そこからはなれて独自の思想を育てていった。そして,魯の国に拠点をかまえ弟子を集めて教えを説くようになり,墨家の思想を創始することになった。

墨子は,儒家が唱える家族の関係を基礎とした愛を差別的な愛であるとして批判し,無差別平等の愛である「兼愛」を唱えた。彼は,この世のさまざまな問題が,人が互いに愛し合さないことから生じていることを見抜き,自己と同じように他者のことも等しく人を愛することで,天下の問題がおさまると説いた。

そして,戦乱が相次ぐ当時の情勢のなかで,「非攻」を唱え,侵略戦争に明確に反対した。そうして侵略戦争を否定するのと同時に,墨子は侵略戦争を阻止することを目的とする防衛のための戦いについては肯定し,さらにその主張を実践して侵略に対する防衛活動も行った。

また,「尚賢」を唱えて,有能な人物を重んじることを訴えた。彼は,家柄や階級によるのではなく,能力のあるものが登用され,政治を行うことが正しいあり方であると主張した。

墨家の思想は,活発な育成や派遣などの活動もあって,戦国時代の思想界を儒家と二分するほどの隆盛を見せた。しかし,秦による中国統一後,その勢力は急速に消滅へ向かい,漢の時代にはもはや存在しなくなっていたと言われる。

墨子は,真理と正義を一途に追求し,現代でいう博愛・平等・平和主義などの普遍的理念にも通じる非常に進んだ思想を説き,それを貫いた。ただ,それが正しすぎ,進みすぎているがゆえに,力が支配する世に調和することができずに,消滅することになった。

こうして,墨子の思想は中国の政治や社会のなかで消えることになった。しかし,その宝玉のような孤高の理念は,時代や地域を越え,少しも傷つくことなく,現在においても輝きを放ち続けている。

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