デジデリウス・エラスムス

<デジデリウス・エラスムス>

デジデリウス・エラスムス(1469頃~1536)は,ルネサンス後期から宗教改革初期にかけての時代の,ネーデルラント(現オランダ)の思想家で,最大の人文学者とされる人物である。

エラスムスは,ネーデルラントのロッテルダムに生まれた。彼の両親の結婚は,父方の親(つまりエラスムスの父方の祖父母にあたる)が,息子を聖職者にすることを望んでいたことから承認しなかったために,彼は正式な夫婦の子としては認められなかった。

愛を唱えるはずの宗教が理由になって,愛が認められない――出生時に体験したこの矛盾は,偶然なのか必然なのか,彼が人生をかけて追求していくテーマとも深く関わることになった。

当時ヨーロッパで流行していたペストのために両親を少年時代に失い,彼は神学校や修道院で学んだが,この際に,聖職者や神学者の現実を見て,不信感を身につけたらしい。

学問を修めた後,彼は神学や哲学の指導に従事したが,同時に,豊富な知識と優れた語学力を生かしてギリシアやローマの古典を研究し,その復興につとめた。ちなみに,「デジデリウス・エラスムス」という名前も,実は本名ではなく,ラテン語とギリシア語から彼がつくった名前である。そして,彼は人文主義者の代表的存在となった。

教会への批判や聖書を重視する姿勢は,まもなくマルティン・ルターによって開始された宗教改革にも多大な影響を与え,そのために「エラスムスが産んだ卵をルターがかえした」とも言われる。しかし,エラスムス自身は,宗教改革から距離を置いた。

ルターが神の意志を絶対として人間の意志を否定するのに対して,エラスムスはあくまで人間の自由意志が存在することを主張した。「人間の自由意志が存在せず,何も決定することができないなら,聖書の教えにも何の意味があるだろうか」―エラスムスの主張は,とても心に響くように思える。

儀式や神学的議論よりも,人間性を重んじ,そして追求したという意味で,エラスムスはまさに人文主義者(ヒューマニスト)の代表であった。 この人間を重視する姿勢のために,すぐれて知的で理性的でありながら,エラスムスには血のかよった人間のあたたかみが感じられるように思える。

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